2004.4.15 ムッシュかまやつライブ評
2004/4/15(日)アナム&マキ/e-ha?/ムッシュかまやつ
2004.4.15日 愛知県名古屋千種区にあるライブハウス得三にて。これが、僕との最初のムッシュとの出会いとなった。この後、数回観ているが、いつも歌ったのは、『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』。この曲は、後日、ムッシュがアレンジを変えて歌ったり、発表したりしているが、トーキングブルースの様なものを目指していたと言う。歌詞は、ムッシュが憧れを抱いて、実際に最期まで好きだったフランスを舞台にしながらも、やるなら最期までこだわれ、というメッセージ性のあるもののような気もする。最期までムッシュがこだわった姿を、彼自身が魅せてくれた。この頃から、ヘッドレスのギターを使っていたのは、何処でも歌いに行ける様にと彼ならではの配慮だったのかもしれない(ジョージカックル氏が後日レコード・コレクターズ誌で記載している。)カウンターにひょこひょことムッシュ登場!ワイン片手にみんなと一緒に写真を取っている(ここもムッシュのスター性をわざと消す、と言うか、自分がいまいるのも、ああいうムッシュと気軽に声をかけてくれる人たちのお陰だ、と言う彼ならではの考え方からかもしれない。実は、京都にある磔磔と同じように、愛知県名古屋市千種区にあるライブハウス得三は、控え室が二階にある。アーティストが買い物をしたりして帰宅する時には、さらっと客の中をぬって、二階の控え室に戻る姿も何度か観ている)。スリムなパンツにNYヤンキースのニット帽、おしゃれな眼鏡(最期まで自分自身でも、僕はスタイルから入る方だから、と言っ た発言からも、ムッシュならではの拘りがみえる)。『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』の演奏が始まると、僕もゴロワーズに火をつけた(僕もその頃は海外の紙巻煙草に拘っていた時期でもあるが、ゴロワーズよりもむしろジタンの方が好みだった)。
そして、同時出演のアナム&マキ、言ってみればギターを抱えたパフィーってところだろうか。続いては、e-ha?、カッコいい3ピースの女の子バンド。
こう言った若い子たちとのステージセッションが、晩年のムッシュの楽しみのひとつだったのかもしれない。
ふとカウンターに目をやれば、娘たちを見守るお父さんムッシュの姿。再びステージに呼び込まれ、ヒストリーオブムッシュナンバーの嵐(言われるがままに弾いたり歌ったりしたが、後日考えれば、これもムッシュなりの照れ隠しと言うか、本当に好きな歌しか演奏しないと言う拘りの姿だったかもしれない)。ところどころ歌詞があやふや、コードがあやふや。このゆるゆる感がたまらく気持ちいい。
最後は、娘たちと一緒に「バン・バン・バン」の大セッション。何てカッコいいムッシュ、そしてかわいい娘たち。この夜一番楽しんでいたのはムッシュ本人だったのではないだろうか。
日本のロックは『はっぴいえんど』が始めてだと言う評論家が多いのは確かだが、僕は、やはりスパイダーズの1stアルバムがいちばんだと思う。いま、アナログ盤で欲しいのは、やはりスパイダーズの1stアルバムである。
そうして、拘りに拘ったムッシュかまやつは、2017年3月1日(享年78歳)に亡くなった(肝癌から膵癌への転移がもとで亡くなったものと思われる)。
後日、いろんな評価や彼を偲ぶ番組が企画されたが、どれもつまらなかった。肝心のライブの模様を撮った映像がなかったからである。彼が自分で借りていたマンションの一室には、彼の出た番組の全てが保管されているとのことで秘蔵映像とか言って、放映されたが、どれも余計な解説ばかりが潜入して、少しも面白くなかった。この中に、本当のライブの演奏を納めた一本でも出てこれば、それもまた興味深いものであったかもしれないが、ライブは水もの、それもまた無粋で僕の欲求を満たしてくれるものにはならないだろう。
『キャンティ物語』も併せて読まれることをお勧めします。
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