ライブ評論活動について
『昨今のライブハウス事情について思うこと』
レコードの黒い盤を見て今日も頷いている諸先輩方、たまにはライブへ出かけていらしゃるでしょうか。先日、僕が初めて生のボブ・ディランを観た時(2001年の3月13日)のフライヤーが出て来ました。それを友人のフランス人にみせたところ、その時のセットリストを即座に教えてくれました。この時は運良く最前列ステージ左側の席を取ることができました。近年のカチッとしたスーツを着た二部構成のステージングではなく、愛用の水玉のシャツにジャケット姿であわられたディランは、ギターを弾きまくっていた印象があリます。当時、若くして日本デビューしたものの、セールスはそれほどではなく、僕らの間では、せいぜい「今度のチャリ坊いいね」と言っていたくらいであり、さらに、氷室京介のソロデビューシングルのバックで弾いたとの触れ込みで思い出すくらいしかなかったチャーリーセクストンもすっかりバンドメンバーとして入っており、とにかく興奮のステージだったと記憶しています。はじめて憧れのアーティストに出会う時なんて、そんなもんなのだとも思います。後になって、時代考証をするようにセットリストを観て、いろんなことを思い出すのだとも思うし、期待を過度にもってみるステージなんか印象に残らないですしね。過度な先入観を持って観ることは、1観客としては、いけないとまでは言いませんけど、変な先入観を持って観るもんじゃないとは、少なくとも考えています。と言うことで、以前から期待して観に行ったパブロックの雄ドクターフィールグッドの初期メンバーであるウィルコ・ジョンソンを初めて生で観た時の名古屋クラブクアトロ。どう見てもお客さんは、満杯とはみえなかったし、さすがに僕が勝手に憧憬の念で見てただけで、日本ではこんなものなかとすら思いました。しかしながら、ウィルコのステージは熱くお馴染みのマシンガンギタースタイルでの手引き奏法で『ガッガッ』と弾く、その姿や、アンプからシールド直結の音で、時にはステージから、はみ出してしまうのではないかと思うくらいの激しい演奏は、やはり、観るものを惹きつけるのでありました。そしてそこにはある種の1960年代へのイギリスへの憧憬すらあったと言わざるを得ない「何か」が心に爪痕を残したものです。それから、京都は磔磔へ。またしても名古屋でと来日する公演を見に行くたびに、何かが変わっていきました。観客動員のみならず、チケット余ってたらくださいとかダンボールを首から下げた女の子すら見かけるようになりました。最初は、物販のなくて、Tシャツが並ぶようになり、物販もどんどんと増えていきました。え、何が起こってるのか正直分かりませんでした。あとでいろんな雑誌に目をやると、どうやら「フジロックフェスティバル」で末期のすい臓癌になった(のちには誤診だと判明するわけですが)ウィルコが、サヨナラと言ったらしく、それがまたウィルコの人気に火をつけたらしく、それが原因なのか何なのか観客が増えていったような気がするのです。また、直近に観に行った公演では、それを迎える観客が最初からスマホを身構えて、何かあるたびに「イエー」と言ってはスマホでパシャっと写真を撮っているではありませんか。もう目が点になるほどの光景でした。会場中でスマホのフラッシュがたかれ、それはもう音楽を楽しむなどといったこととは、ほど遠い光景にすら見えてしまったものです。このような行為は、日本人としての海外音楽への知識ってそれくらいなのね、と笑われてることすら知らない無知を通り越した何かがあると思った僕は、そんな時、パブロックとはなんぞやから教える気もさらさらないので、腕を掴んで其奴らを視界から外へ放り出したくなる気持ち、また本当のイギリスのあの時代へタイムスリップして日本人を辞めたいとすら、思えてしまうくらい激情を感じるのですが、最近他のライブハウスではどうなんでしょうか。確かに、以前にブライアン・セッツアーを観に行った際には、演奏が始まる前に、今日は写真撮影海外の了承を得ています、とのアナウンスメントが流れました。しかし、ローリング・ストーンズを観に行った際には、少しでも、スマホをかざそうものなら、すぐさま、係員が飛んできて、制止している姿を何度も見かけましたし、昔なら、カメラのフィルムを引き出される観客や録音機材の有無の確認がありましが。海外アーティストがライブハウスクラスの箱に来日することすら珍しい、ここ愛知県では、どうも変になりそうなんで、全国のレコードコレクターズ誌のファンの皆様に訊いて見たいとペンを取った次第です。(原文のまま)
レコード・コレクターズ誌 2018.Vol.37.No.1レターズの項掲載
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