僕の変な高校生活の話

もうひとつ、書き忘れたことがあった。

僕は、高校の頃は、自転車通学してた。自転車で約30分。自転車なんてものは、急いでこげばそれなりだし、急がなければ遅い。

夜は、深夜放送を聴いていたので、寝るのが、午前3時。朝は、7時50分までギリギリ寝てて、8:15分の遅刻間際に、入って、出欠確認される前に、後ろの席に座ってるやつに頼んで鞄だけを、机の上に置いといてもらった。それで、堂々と前の扉を開けて『トイレ行ってましたー』と言って遅刻ギリギリでいつも入ってた。

そんでもって、帰宅部。

時間は無限にあった。鍵っ子だしで、本読んだり、テレビ観たり、ラジオばっか聴いてた。エアチェックしたりして。さらに深夜まで遅く起きてると、必ずテレビでやるのがドキュメンタリー番組。これがまた社会的な問題提起させる番組が多い。もちろん、そう言うのはスポンサーが付かないので深夜枠に持ってくる訳だけど。

で、大学は、社会学部に入りたかったんだけど、関西大学と法政大学にしか無かった。どっちもウチからは遠い。しかも、私学。受験費用は3万円。とても無理。

時たま、自転車に乗って、授業をサボった。のちに、理由を訊かれると、他の奴は困ってたけど、僕だけは『風にふかれてました』とか堂々と言う人だった。

高3の時なんて、受験はあるしで、うちの父親は、絶対に国公立とか言うし。よくサボって、自転車に乗ってふらふらと牛を観に行ったりしてた。牛は良いなあ、のんびりしてて、とか思って。ま、なんやかんやで、自分のうちから通える大学に入った。

同級生の平川も社宅住まいだったんで、窮屈だったんだろう。立教に入った。蒲田に最初住んでたんだけど、その後、ラグビー部に入った神奈川大学にいた、こいつも同級生の吉井と一緒に部屋を借りて、住むようになった。

東京の土地勘があるのは、いまでもその辺りをふらふらと歩いていたせいかも知れない。

で、高校の同級生たちと東京へ行ったときに観たのが、東京ドームのこけら落とし公演の『プリンス』だった。ストーンズの初来日はチケットが取れなくて、平川だけが、テレビ神奈川のヤツで当選したので観に行ってきて、パンフレットをサランラップでくるんで大切に持ってた。

おかしな高校生活だったが、いまでも覚えてると言うことは、それくらい刺激的な高校生活だったんだろう。だから、勉強なんてしたくなったらすれば良いし、したく無かったらしなくて良いし。そのかわり、やるときは一生懸命やれと言いたいけどね。親としては、そうもいかないんでしょう。

窮屈な時代はいつまでも続いてるから。


あとは、住所も電話番号も携帯番号すら、知らない仲間が、いざとなった時に助けるかどうかは知らない。僕は、最初、facebook もTwitter も全部やめた。内情も知らずに、繋がろう繋がろうとさせるのが嫌だったし。どこか変な正義感を出すと急に何を言い出すんだ?みたいなこと言われるし。

新聞記者にも漫画家にもDJにも音楽家にもいろんななりたいもんはあった。でも、最終的には給与が高額な会社へ入った。同期が車買ったのなんのって言ってる間に、こっちは、毎月10万円の仕送りをしてた。

でも、それも落ち着いたんで、さあ、やろうと思ってると、いろんなことが待ち受けている。人生とは、そんなもんなので、会った人には、住所氏名を書いた名刺を配ってる。とりあえず、50枚印刷してもらった。あとは知らん。

ETSUJI 's DAILY LIFE

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