僕なりの幸福論
家人は起きてこないし、朝方は寒い。ニュースは暗いニュースも多い。
ので、出発前にもうひとつ話しておこう。
僕は、大学の卒論は、マルクスについて書いた。
日本の論点やら、マルクスとエンゲルスやら、ありったけの本を集めて、自分なりに解釈した気になって書いた。多分、みんなでやれば、幸せになれるみたいに解釈したんだと思う。
それらの本は、すべて水没した家と同時に無くなったし、450字詰原稿用紙にして、80枚程度は書いた。
それを教授室ではなくて、事務室に持っていくのだけども、その時の薄暗い事務室の叔母さんの態度が悪いのは覚えてる。
加えて、僕は、小学生の頃から、檀家ではなくてもお寺の住職さんの奥さんが仏教の本の読み方を教えてくれていた。いまでも空で唱えることができる。
また、その辺の仏教の住職よりも、よっぽどうまく唱える自負はある(実際に母方の祖母が亡くなった時には、叔父さんはカセットテープでそれを流そうとしたのを僕が止めて読経していたのだけど、これまたどっちが変なのかわからないくらい笑える話ではあるけど)。
いまは、坊主憎けりゃ袈裟までにくい、とはよく言ったもので、いまどきの坊さんは、檀家周りもそこそこに、主教法人で税金だけ免除してもらって、夜はクラブで豪遊みたいなイメージがあるけども。
これまた、もちろんすべてがすべてではないと思う。
ま、その赤本があるわけで。浄土真宗大谷派。敬虔な仏教徒とまでは言えないのだが、その仏壇が岐阜のうちにあるにはある。
それをどうしようか、否かを迷っていたので、その仏壇には、僕の本当の父方の祖父は、河合さんなので、戦死しているんだけども、遺影だけはある。
その仏壇を置くスペースくらいは、我が家の狭小住宅にもあるので、引き取ろうかとも考えたりして。
だいぶんと話が逸れてしまっている。
遺伝子との決別と考えていた頃もあり、うちの両親とは断絶していた頃もあるのだけども、これは、三国蓮太郎と佐藤浩市の様でもあるが、いまとなっては、雪融けも近い。と言うか、死が近いのだけど(笑)。
大学の卒論の話から、仏教の話を経由して、先祖さまの話になって、いまに至る。
家人も起きて来た様なので、そろそろしめようと思う。ちなみに、家人のうちは、日蓮宗なので、僕は読経できない。
総じて、友よ、夜明けは近い。では、行ってくる。
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