社説について考える



この社説に対して、次のような質問を投げかけてみた。

今春1日目の新聞報道が社会部の記者の潜入記事 で福島の原子力発電の問題を取り上げていたにもかかわらず、表記の件の社説では、東京電力関係者らが執筆した『エネルギー産業の2050年』(日本経済新聞社)が取り上げられています。社説の取り方からすると、電力供給側の意見として捉えられてしまうと考えますけども、電力の需要側の意見は聞かなくても良いのでしょうか。社説こそ、大胆に御社の意見を述べられる唯一の場所だと考えます。その上で、今後の購読新聞も決めたいと考えておりますので、ぜひともご意見をお伺いしたい所存です。


すると回答が、執筆した論説委員に訊いてみますとのこと。

こういう態度が昨今の新聞報道の不信感を生んでるんではなかろうか。一貫性がないと言うのか。論調が皆同じでは、やはり新聞報道から離れていくのも分からなくはない。それでも、論説委員から紐解いて論説委員長まで来ると、それはそれで興味深い。

そしてひっそりとこんな記事も掲載されている。
日本記者クラブは、小田尚理事長(読売新聞グループ本社取締役論説主幹)が任期前にして一身上の都合により退職したとの発表。

通常国会を前にして、この出来事である。

何かあるのでは?と動きだしているグループがいるのかもしれない。敵はトランプだけではないのではと疑心暗鬼になるのも致し方がない出来事であろう。

0コメント

  • 1000 / 1000