貸金業の話。

うちの父親が個人事業を始めたのは、僕が小学校2年生のころだった。普通の家で始めるので、無節操な始め方だった。

あの車のタイヤで有名な『ブリジストン』の子会社にエバーソフトという布団業を扱う子会社組織があった。そこの岐阜市社に勤めていた父親が脱サラして、始めたのが「綿吉新装加工」だった。なんで、この屋号かというのは、綿と自分の名前の一字を取って付けた。

それで、なぜ明確に、僕がこんなに屋号を覚えているか?それは、僕が電話取りをしていたからである。両親が出かけていると、学校から帰ってくる僕の仕事は、この受付業務になる。電話が鳴ると、僕が「はい、綿吉新装加工でございます」と出るわけだ。

会社法など知らないし、会社組織にするほど人手はないしで。

この確定申告時期は、夫婦喧嘩が始まる。

毎月、帳簿付けをしていればいいのに、多くの取引先は信用取引であって、納品しても、小切手で切ってくる。

それが換金できるまでは、売り上げのみが計上されるが、現金収入はない。会計士をつけるほど、知恵も売り上げもないわけで。

しかしながら、税金は必ず取りに来る。


それで、確定申告をしたい。しかしながら、どれを経費にして、どれを売り上げにしたら良いかがわからないので、領収書探しで喧嘩になるので、僕は、自室にこもって、ヘッドホンで耳を塞ぐか、自転車に乗って、ふらふらと出かけることになる(笑)。

それでようやく引っ掻き集めた領収書となんとなく月の売り上げをまとめたノートを持って、市役所へ行く。行くまでは、ブツブツ言いながら行くので、僕と母は、戦々恐々で待つことになる。

が、帰ってこない。

税務署から税理士が派遣されて来るわけなので、当然、それなりの時間はかかる。それにしても遅い。

ようやく夕食時に帰ってきた頃、母親が恐々聞くと、パチンコ屋に寄ってきた、とか、うちの父親はのたまうので(ま、結局、今から思えば、確定申告が無事済んで、ホッとしたんだろうとは思う)、また、喧嘩が始まる。

そんな経営がいつまでも成り立つわけもなく、資金繰りに苦しくなって、街金から金を借りるようになった。

彼らの手口は、何処もが同じ。

100万円を融資してもらうとすると、最初に10万円の小切手を10枚切らせる。

すると、まずは、100万分は必ず取れる。

あとは、金利分をどう契約するか。

それは、僕にはわからなかったが、複利計算で借りてたとすれば、いつまで経っても返し終わらない。

帰宅して、玄関の鍵を開け、夕刊と郵便物を最初に手に取るのは、僕の仕事だ。

ある時、父宛に女性の名で頻繁に封書が届くようになる。

浮気でもしてるんじゃないのか?
うちのおっさんは。

と、疑念を抱いて、何通目かの時に、ついにその封書を開けた。

!!!!!

取立て書が入っていたのである。

と、まあ、こんな感じで、最初はゆっくりと取立てが始まる。

すると、期間工へ行くことになる。

サンヨー、ソニーの期間工で働きながら、本業は、僕がやることになる。いかんせん、うちの母親は、車の免許がないのであって、父親が車に乗って、夜勤、準夜勤で出かけてしまうと、僕が車を運転して、布団を作ってもらうところへ、綿を収める。できた頃に回収、納品。家内制手工業である(笑)。

ま、この時期になると思い出すのは、『ナニワ金融道』の世界である。今回は、貸金業の話でした。


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