不破一色の叔父さんの唄

名鉄の単線列車で羽島市役所前駅から新岐阜駅前まで行く途中に、不破一色駅という駅がある。

不破一色の叔父さんは、生まれながらにして足に軽度の障害を持っていた。泉谷しげるさんみたいなもんだと思う。でも、十分にゴルフをしたりして、正月になると、弟の孝おじさんと一緒にゴルフを行ってた。

最初は、岐阜駅前の繊維問屋街にある店で、スカートの丈を測って、切る仕事をしていた。この方が、足に負担がかからないと思って、お爺さんさんが察して選んだだろうと思う。お爺さんは、青森県の出身で、テーラーのような呉服店を営んでいたので、その辺の知り合いは、多かったのかもしれない。

それでも、不破一色の叔父さんは、単調な仕事を辞めて、自分で好きな酒の仕事を選んで、酒造メーカーと小売店販売店(街の酒屋さん)の中間卸会社へ入社した。

シビックも黄色のシビックで発想もワカモノに近かった。時折、酒屋のノベルティグッズをくれて、僕のお気に入りは、ロバートデニーロのTシャツだった。

みんな、何かしらの生まれつきの障害と呼べるか否かは、微妙なのだが、持って生まれたものはある。

僕は、色盲なので、コンデンサーの色や信号機くらいはちゃんと見えるけど、緑と黄色の微妙な色合いで迷路のような道を辿る検査を受けると、必ず、わからない。

僕が始めて自分で買った外国のアーティストのレコードのEP盤は、BEATLESのYesterday だった。600円。これをカセットテープにダビングして、サンヨー製ミニステレオカセットレコーダー(ダックスフントみたいなやつで、両スピーカは折りたためて、当時はカセットテレコと呼んでいたかもしれない)で、いつも聴いていた。Paul の様には歌えないが、空でも歌えるのはこの曲である。

それを持って、ある時、不破一色の叔父さんの家へ訪れた時に、大人の会話とか従兄弟との会話には、何処かしら馴染めないとこがあり、ひとりで別の部屋で聴いていると、叔父さんだけが『お!BEATLESか、いいもん聴いてんなあ』と言ったのである。

だから、いつか、酒を酌み交わして、その話をするのが、僕の目下の恩返しの一つだと考えているのである。

ETSUJI 's DAILY LIFE

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