牧田くんの話。

お昼ご飯時なので、シェフの話を一つ。

牧田くんは、岐阜県の中津川出身で、どっかのホテルのシェフをやっていた。

日本料理をメインに、和・洋をやっていたらしい。そこのコック長なので、偉いかと思いきや、とんでもない。若手は早く帰してでも、自分は最後まで残って、キッチン場所の清掃、道具類の清掃、火の元の管理をして厨房を閉めて、やっと帰宅。

そうして、少しづつ、若手の料理人に仕事を任せるのだけども、やっぱり磨き残しが気になるらしく、結局は、自分がやらなければならないので、それなら、最初から全部自分でやった方がいいと言っていた。

まあ、しかしながら、そういった料理人の夢は、最終的には、自分のお店を持つことである。

なんの因果かわからないが、東京の人からは、悪名高き、錦三丁目(通称、錦三)の中の、シャインシグマビルの地下に居抜きの店を買って、『食厨房HARU』という店を始めた。

そこのオムカレーは美味しかった。

自慢は、うちのオムライスは卵3個使ってるからねぇと言っていた。

名古屋市緑区に居を構えて、桜通り線に乗って久屋大通までやってくる。

しかし、やっぱり、錦は夜の街。

家賃も高いし、客の要求も高い。

大して味もわからないのに、ワインの高いヤツをくれだの、あれ作れ、これはないのか?、他のフレンチの店では、こんなの出すぞ、と言い出す始末。

そうしたお客は、景気が悪くなると、来なくなる。

だから、そういった客は断った方が良いと言ってみたが、仕方がない。個人経営なので、家賃分以上に稼がなければならなかった。

そうして、最終的には、開店当初の夢とは、異なる店になってしまって、何が売りもんなのかわからなくなって、お客の注文に合わせて、できるもんはなんでも作りますスタイルになってしまった。

僕は、ワインは苦手なのだが、海鮮サラダとペンネアラビアータと、あそこのオムカレーが時折食べたくなる。

お酒も大盤振る舞いで、常連客にはサービスしてくれた。休む時には、少しの時間で休息が取れるようにと、カーテン越しに吸ってた煙草は、缶に入ったピースの両切り。通称缶ピーだ。これほ、短いので短時間ですぐ吸ってしまえるので、お客さんが来たら、腰を上げてサッと煙草の火を揉み消して、「いらっしゃい」と声をかけられるので、お寿司屋さんなどでも重宝がられる。

女性が来るようになると、そうはいかないので、何回もストレスが原因か否かはわからないが、十二指腸潰瘍で入院したりしてた。

そういう時のお客は、厳禁なもので、休みが多いと来なくなる。

牧田くんと2人で錦の日本料理を売りにしている店へ行ったことがある。

まず、お通し代で1,000円は取ると言われている錦である。

そして、芋焼酎のお湯割りとだし巻き卵を頼んだ。

そのたびに、カーテン越しの厨房に入る。

こういうお店は要注意だと牧田くんは耳打ちした。

その理由は、お客の前で調理姿を見せられない料理人は、自信がないか、バイトに作らせてるか、レンジで温めてきているか分からないからである。

出てきた、だし巻きを酷評した。まず、横面、こんなスカスカの巻き方は、下手な証拠。

そして、日本料理でいちばん難しいのは、実は、だし巻きであること。

僕は、彼から、料理人のプライドと安くて美味い飯が食えるお店のヒントを沢山教わった。

そしてとうとうお店を閉めた。

もう、錦に行くこともないだろう。

どっかで、牧田くんには料理を続けていて欲しい。

できれば、牧田くんの故郷である岐阜県のどっかでお店をやっていて欲しい。

いつか、再会したい料理人のひとりである。

0コメント

  • 1000 / 1000